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創設までの経過

※以下の文は、昭和48(1973)年10月の川崎医科大学 校舎棟落成に際し、
学園創設者 川﨑祐宣が「落成記念誌」へ寄稿したものです。


松島の地に医学の塔を

私が外科医院を岡山市で開いたのは、昭和13年で、今を去る35年前のことである。幸いにもよい従業員に恵まれ、世間にも暖かく迎えられ、日増しに盛業に赴くことができた。空襲で病院を焼失したが、直ちに復興し、昭和35年には500床の総合病院を開設した。昭和41年には増改築して、800床の近代的病院とすることができ、それが現在の川崎病院である。

医療に従事する者は、職業がら不幸な人々に接する機会が多く、私は、つねに人間性豊かな気持ちで、これらの気の毒な方々に接し、水準の高い診療をしてあげられるようにしたいものだと思いつづけ、努力もした。

もともと、医業は財をなすために行うものではなく、もしそれによって金銭上の余裕ができれば、それを社会や患者に還元すべきであろう。開業以来、私の陣頭指揮により、病院の業績が向上し、世間にもそれを評価されるに至った。

昭和41年頃から医科大学を建設し、真に医師といわれるにふさわしい臨床家を養成して世に送り出すことができたら、それは私にとって社会・国家に対する最大の恩返しであり、貢献となるのではあるまいかと考えるようになった。

おそらく、一個の医科大学を建設し、そこから毎年100名の心身ともに健全で、有能な医師となるべき卒業生を送り出せば、それは巨大な病院を10〜20個開設するよりも、はるかに有益な仕事であろう。

今日でもそうであるが、昔から我が国は諸外国に比して、医師の絶対数が著しく不足していた。現実には医師を志願する若人が甚だ多いにもかかわらず、それらの人々の大多数は、激烈な試験競争のために、医科大学に入学することを断念せざるをえないのであった。それは、医科大学の数が著しく不足していたからである。

医師になるためには、医学を修めるに充分な能力を持っていることが必要である。しかし、その水準は、必ずしも最高級であることを要しない。それよりも、よい人柄と親切な心を持ち、病んでいる人々の心を心として、愛情を持って患者に接し得ることが医師となる第一条件であると信じている。

もしも、私どもが現に持っている川崎病院と資材を差し出し、我が子を医師にしたいと熟望している父兄の総意を結集すれば、新しい医科大学を建設しうるかもしれない。こう考えて専門家や周囲の親しい人達に相談したが、時には反対されたり諌められたりした。

しばらく迷いつつも、種々検討し準備も進めた。医科大学設立のための準備財団の認可を得たのは、昭和43年8月であった。その後、あらゆる困難と闘いながら建設の推進に尽力した結果、昭和45年3月に学校法人川崎学園が認可された。45年4月には川崎医科大学と同附属高等学校を、48年4月に川崎医療短期大学を発足させることができた。

このたび50万平方メートルの敷地に、13万平方メートルの建物が完成し、その落成式をあげることは、私どものこの上ない喜びである。長い間、終始暖かいご援助を賜った各位に、深く感謝する次第である。



―昭和48(1973)年10月  落成記念誌より―