1. トップ
  2. 創設者 川﨑祐宣
  3. 建学の理念と教育の基本方針

建学の理念と教育の基本方針

※以下の文は、昭和48(1973)年10月の川崎医科大学 校舎棟落成に際し、
学園創設者 川﨑祐宣が「落成記念誌」へ寄稿したものです。


川崎学園の礎を築いた建学の父・川﨑祐宣


川崎医科大学は建学の理念として、

人間ひとをつくる

体をつくる

医学をきわめる


の三本柱を立てている。

よき医師であるためには、常識を備え、良心的で温かみがあり、信頼される人でなければならない。そのためには、 1. 徳育が第一に重視されるべきである。医師は患者に親切で、忠実で、犠牲的であることが強く要望されている。また、それをなし得るだけの体力を備えることを要する。自分自身が柔弱では、患者に充分な奉仕をするゆとりがない。それが 2. 体育の必要な所以である。しかし、これらの二つの条件だけを満足させても、よき医師とはなり得ない。病気に悩んでいる人々に健康を回復させ、また、病気をしないで健康を長く享受できるようにするための医学的知識と技術を身につけることの必要性は言うまでもないことである。口さきと身振りがどのように親切であっても、日進月歩の医学的知識と技術の持ち主でなければ、患者や社会に感謝される医師ではない。ここに 3. 医学の智育および実技の教育の重要性が強調されるのである。

“人間(ひと)をつくる” “体をつくる” “医学をきわめる”の三大目標達成のために、私は、次に記すような新しい制度を取り入れることによって、医学教育の基本方針を定め、これまでの医学教育をできるだけ改善合理化し、教育の効果を向上させることをはかっている。

1:附属高校を配置する

我が国の教育が、大学への受験勉強でゆがめられていることは周知の事実である。一生の間で、人格形成を左右する大切な年齢層は高校時代であろう。この年頃に、唯々、大学の入学試験に合格することのみを目標にして、受験科目だけに集中した勉強のために心身を損ない、いびつな知識を持った青年が出現しつつあるのは悲しむべきである。医師になるためには、片寄らない均整のとれた心身が必要である。

そこで、この欠点を排除しようと、本学園は、倉敷市外にある快適で閑静な環境の中で、よき教育者の指導のもとに、少人数のクラスをもって校舎に接する4つの寮で、3カ年起居を共にしつつ勉学させている。それと共に、スポーツによって身体を鍛錬し、体力を向上させ、スポーツ精神を身につけさせることにした。

この学校の定員は、医科大学のそれの半分(50名で2クラス編成)である。医科大学に進む際には、他の一般高校からの受験生と一緒にして、平等に選抜される。本年、第1回の卒業生を送り出したが、その90%以上が大学に合格し、現に大学内でよい成績を修めている。

2:医学進学過程と専門過程を区別せず、6年間を一貫させて医学教育を行う

医学進学過程(2年)から専門課程(4年)への移行は、最近、医学教育の重要課題とされているが、川崎医科大学では、両者が相互に理解しあって融合し、いわゆる専門課程の教育を能率化するのに成功した。これによって、5年生と6年生を通じて臨床医学の実施(bed-side teaching)を学生に修練させ得る基盤をつくることができたのは、喜ばしいことである。

3:2年間の寮生活を義務づける

これは、他の大学には見られない著しい特色である。1年生及び2年生を生坂の寮に収容し、同級生、先輩及び教師と24時間接触させ、人間関係を円滑にすること、他人に迷惑をかけないようにして、自分の意図を遂行すること、また、広大な体育施設を利用して、スポーツによる心身の鍛錬をはかることなど、大学教育を通じて、一生涯のよい友人を持たせたいという願いもあって、大学の2年間全寮制を実施しているのである。

これについては批判するむきもあろうが、これまでのところ、所期の教育効果をあげている。本学において授業を怠けて韜晦する者が少ないのも、全寮制のよい効果の一つであろう。これを支えている職員の苦労を忘れてはならない。3年生より上級の学生は、自宅あるいは下宿から通学している。

PAGE UP

4:新しい効果的な教育技術の導入

川崎医科大学では、教育こそ大学の最も大きな目的であると考え、数次にわたって視察団を欧米に派遣し、視察をさせた。

その結果、松島地区の校舎棟に視聴覚教育センターを設け、カラーテレビによる実習及び講義を学生に施し成果をあげている。その施設は、先進国のレベルを抜くもので、これが将来、大々的に使用されるようになった暁には、医学教育の改革をもたらすのであろうと信じている。

5:部(division)により教室を運営する

医学教育の識者によれば、講座を中心にした臨床医学の教育はすでに歴史的使命を果たし、今日では、均整のとれた医学教育をはばもうとする、好ましくない傾向を生み、その改善が望まれているという。

川崎医科大学では、専門と他の専門との間に隔壁を設けず、相互に助け合うことを目標にし、専門家のグループを単位にして部をつくり、部を集めて一つの共通目的に勢ぞろいさせて教室を編成することにした。

例えば、内科学教室では、循環器・消化器・血液・呼吸器・神経・腎臓・内分泌及び臨床検査などの部が寄り集まり、各々専門とする学問を、卒前及び卒後の学生に教育し研究を行う。診療については、専門の患者を扱うのはもちろん、場合によっては、共同して一般的な内科の患者をみることによって一体に融合し、いわゆる専門のこと以外には無関心であるというような欠点を除こうと努力している。

この制度の完成によって、初めて医科大学の学生及び若い医師は、均整のとれた医学の知識及び技術を身につけることができ、患者は真の専門家のもとで(時には一人の患者が数人の専門家の手によって)治療を受けることができる。

部では、教授1、助教授1、講師数名のスタッフに数名のレジデントを加えて、専門の教育・診療・研究を行うのを原則としている。教室を統轄する責任者が主任(chairman)である。

6:臨床医学の卒後教育のためにレジデント制を敷く

これは川崎医科大学の卒業生を有能な医師に養成するために設けた制度である。数年の養成課程(それは専門医制度が確立されている臨床部門では、その修練期間を採用し、それに一致させることにしている)のうち、最初の2年間をジュニア、それ以上のコースをシニアと呼ぶ。

ジュニア・コースでは、自己が希望し、教室の主任によって承認された部を一定のスケジュールに従って次々に巡回して、臨床修練を受けることができる。

ジュニア・コースを終了した者は、シニア・レジデントになるが、これは自分の希望する部に定着し、その専門の診療及び研究に従事すると共に、部分的に医科大学の学生及びジュニア・レジデントの教育を助けることにより、自らの修練を促進する。

これからの臨床家は、すぐれた診療の技能を有すると同時に、何らかの分野で開発的な研究を行う能力を備え、他の者を教育し得るだけの経験を持っていないと、有能だということができない。

シニア・レジデントは、やがて医科大学のスタッフになり、その教育に参画してもらいたいと思って設けた修練コースである。

PAGE UP

7:研究センターの設置

教員は、つねにその専門領域の研究を怠らず、研究を通じて学界に貢献する。それは医科大学の卒前・卒後の学生に刺激を与え、学問愛好の気風を作興する原動力にもなる。そのために、川崎医科大学内に巨大なスペースをさいて、大型で高級な器械設備を持った研究センターを設置した。

8:研究プロジェクト

各部(division)に研究室を持たせ、教員の各々に応分の研究費を支給しているが、これは、どこまでも教育に新風を吹き込む程度の、いわゆるパイロット研究の域に留まるものである。

これでは専門を異にする者が幾人か集まって、力を合わせて立派な研究をするのには不十分であるから、研究計画書を提出させて、その内容を審査して研究費を支給するところのプロジェクト研究の構想が、本年から実施されることになった。研究室及び研究センターが整備されれば、本学における研究が活況を呈し、それだけ教育に対する熱意も向上するものと期待している。

9:コ・メディカルコース(川崎医療短期大学)

松島地区において、医科大学に近接して昭和48年4月に川崎医療短期大学を開設した。将来の医療は、医師団のみがよく背負い得るものではない。医学の進歩につれて、医師団に協力して活躍してくれる専門家、すなわち有能な看護師・臨床検査技師・放射線技師・理学療法士などの働きに、いよいよ大きく依存するようになった。

医療短大の学生は、その構内にある施設で基本的教育を受けると共に、医科大学病院を附属修練病院として医療の実際を見聞し、そこで実地訓練を受けられることになっている。

この医療短大は、施設と教育環境について、我が国で最も恵まれているものの一つだと私は自負している。

川崎医療短期大学は、現在、(1)第1看護科、(2)第2看護科、(3)臨床検査科が設置され、それぞれ定員50名であるが、将来、コ・メディカルの職種の総合短期大学にすることを目指している。



―昭和48(1973)年10月  落成記念誌より―