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川﨑祐宣メモリアルギャラリー
ひとすじに生きた
人生を決めた恩師との出会い
医は仁術
メイヨークリニックとの出会い
天を敬い人を愛する
松島の地に医学の塔を
医療と福祉の融合を目指して
日中友好の架け橋に
主要諸室・設備概要
平断面図
フォトギャラリー
[5.旭川荘、医療を中心とした総合福祉施設づくり]

私は、生業を医に求めて病院を開き、多くの患者を得た。従って体や心に障害を持つ不幸な子供と老人に接する機会が多く、当時の社会事情からみて、私の力で何とかしなければという止むに止まれぬ気持ちを抱くようになった。

私は、青年時代から、老後に理想的な社会事業をやろうと思っていました。私のすることは基盤だけだが、基礎さえできれば、協力者ができて、立派なものにしてくれるでしょう。今の私の病院も、従業員みんなの力で軌道に乗り、なんとかやりくりして資金を旭川荘に回すこともできる自信がついたので着手することとしました。丁度私はいま50歳。10年計画というのも、まだ10年は私が健康だと思うからです。むろん、理解ある皆さんの協力なくて、私一人でできることではありません。

50才
昭和29年7月14日(1954)
「旭川荘」創設計画、山陽新聞に発表
欧米先進施設の視察

53才
昭和32年(1957)
社会福祉法人「旭川荘」設立
旭川療育園
旭川学園
旭川乳児院
63才
昭和42年(1967)
旭川児童院
64才
昭和43年(1968)
旭川敬老園
67才
昭和46年(1971)
旭川厚生専門学院
降、施設の充実、再編成、専門化を進め、地域障害者のための通園、通所施設や訪問指導の制度を開き、同時に入所者(児)の社会復帰を促す授産施設を拡充し、また、専門職員の研修施設や医療福祉の研究所も設け、国際的にもアジアを中心に医療福祉の啓発指導に貢献した。現在は30に余る施設を有し、日本屈指の総合医療福祉施設として発展した。
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