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東日本大震災復興ボランティア活動報告〔2012年8月〕

2012/09/28

オリジナルボランティアin石巻

今年も夏休みを利用して、東日本大震災の復興ボランティア活動に本学学生が多数参加しました。大学協助会と教職員の皆さまからの心のこもった支援金によって、以下の活動を支援することができました。また今回の活動に対して、大和証券福祉財団より「災害時ボランティア活動助成」が認められ、助成金を大和証券岡山支店にていただきました。このようにさまざまな形で支援していただけることは、本学のボランティア活動を続ける上でも大変勇気づけられます。改めまして、お礼を申し上げます。

さて、今回の「大学オリジナルボランティア」は、リアス式海岸で有名な宮城県牡鹿半島で展開されました。ピースボート災害ボランティアセンターの島田さんに紹介していただき、4班に分れて漁師さんの作業所を訪問し、ホヤの養殖のお手伝いをしました。ベテランのボランティアさんも熱中症で倒れるという暑さの中、黙々とカキの殻に穴を開け、紐を通すという地道な作業を毎日繰り返しました。訪問した各家庭では、震災前ののどかな生活についての話しから始まり、震災からどのように立ち上ってきたのか生の声を聞くことができました。大地震が起き、その直後大津波がおしよせ、生死を分けた山への避難道の話は忘れることはできません。また、亡くなってしまった家族の話、避難所で偶然会った福島県の人との会話、それから女川原発のすぐ近くに家があったと思い出し、ゾッとした話、全員が助かった谷川小学校での本当は笑えない話、などを直接聴くことができ、本当に有意義なボランティアになったと感じております。

これとは別に、岡山赤十字病院主催のボランティアとして7名が岩手県遠野市のまごころネットを仲介してがれき撤去等の活動を行いました。日本赤十字を通して、これらの活動については報告されると思います。

さらに、大学コンソーシアム岡山主催のボランティアとして、2名が岩手県大槌町にて取り壊し予定の中学校の移転作業の手伝いを行いました。この時の様子は、山陽放送で放映されております。

学生たちはテレビでしか見たことがない東北の被災地を目の当たりにし、津波被害の甚大さや恐ろしさを実感したそうです。また地元の方から聞いた大津波に遭ったときの臨場感あふれる話、その後の悲しみ、喪失感、今抱える思いなどは、それぞれの心に強烈な印象を残し、様々なことを考えるきっかけとなりました。貴重な体験を自分だけの一過性のもので終わらせず、普段の生活においてもこれらを生かして、社会で活躍してほしいと思います。

ボランティアセンター長 古我知成


石巻市谷川地区のボランティア引率から

津波で枯れた杉林
現地にて

今回は、21人の学生が4班になり、13か所の漁師さん作業所のサポートをローテーションで行なった。60戸あった集落が流され23人の尊い命が奪われた地にて、熱中症に注意しながら、12月に向かってのホヤ養殖の準備をサポートしてきた。帰って約2週間後、お世話になったピースボートのスタッフとの連絡から、8か所の作業完了を知り、少しでも役に立ち、良かった、良かったである。一番海岸に近い漁師さん夫婦が話してくれた「なぜ生き残れたか」を一生忘れないと思う。

漁師のお父さんは、近くの山際に立つ枯れた杉林を指差した。「枯れてるね、あそこまで津波が来たんだ。よく見てご覧、あの木の梢、もっと上だ。」そこには、あせたイエローの浮き球が2列で6個連なってぶら下がっていた。「ウオー!!!」、海抜20m以上ある。お父さんは、3月11日大きな揺れを感じ、しばらくして海を見に海岸に出た。そこで壁のように大きな津波がやってくるのを目撃して急いで自宅に引き返した。津波に追いつかれながらお母さんの手を引張って逃げ出したが、その時は、もう首まで津波に浸かっていた。近くの杉林の急斜面をとにかく浸かりながら上へ、鹿除けの網がバリケードとなっていたが、なんとか上へと逃げ続けた。もどってみると、集落は無く、2〜3mもの海砂が積もっていたそうである。以上がお父さんから聞いた内容である。

作業終了後にお母さんに「手を引張ってもらい逃げる時、どんな気持ちでしたか?」と聞くと、帰ってきた答えは「二人で死ねばもろ共」、女子学生の一人の「けんかしたことが無いのですか?」の問いに、笑いながらお母さん「よくけんかしてきたよ!」その場には、お父さんはいなかった。

学生部長 長尾憲樹

参加した学生より

夏休み震災ボランティア参加者   赤十字ボランティア参加者   大学コンソーシアム岡山ボランティア参加者

夏休み震災ボランティア参加者

現地にて
作業の様子

私がこのボランティアに参加した理由は、東北の方とじかに触れ合い、テレビで報道されていることばかりでなく現地の思いや痛み、実際テレビで報道できないようなことも学びたいと思ったからです。それをどう受け止めるか分かりませんでしたが、テレビの前だけで自分の思いが終わってしまうのがどうしても嫌だったのです。

今回参加した震災復興ボランティアでは、宮城県石巻市の谷川(やがわ)というところで漁師さんのホヤの養殖のお手伝いをさせてもらいました。ホヤは海のパイナップルと称され、東北地方沿岸部の特産物として流通し、酒の肴としてよく食されているそうです。作業は主にホヤの養殖のための装置作りで、牡蠣の殻に穴を開け、約2メートルの紐に通すというものです。これはホヤの幼生が牡蠣の殻に付着し育つという仕組みで、出荷できるようになるまでおよそ3〜4年の歳月がかかるそうです。最初は単純な作業だと思いましたが、その紐に牡蠣を通し終えた装置をおよそ4〜5千本も作らなければなりません。一本作るのにおよそ20分ですから、とても根気のいる作業です。さらに牡蠣の殻を選別し、穴をあけるという下準備作業もありとても大変です。未だ残る瓦礫の山、海水により家自体が建てられない、さらに仮設住宅すら建てられないこの谷川地区では、傷跡は大きくまだまだ復興しきれてはいません。おそらく、震災当初はぶつけようのない悲しみがあったと思います。しかし、そんな苦労をひとつも顔に出さず、現地の人やその家族の方はとても元気に働いていました。

このボランティアを通して、いつ自分の地域がこうなるともわからないので、覚悟しておく必要があると感じました。そして自然災害による準備をしっかりして、生きのびることを最優先で考えておくべきだと感じました。それと同時に日本国民のあたたかさや海外の方のやさしさにとても感動しました。

(医療福祉学科 4年 尾脇啓央)

現地にて

東日本大震災から1年数か月経った石巻市に、ボランティアをさせてもらいに行くことができました。時間がかなり経っているせいか、市内をちょっと見渡しただけでは被災したことは分かりませんでしたが、所々にがれきの山や傷だらけの家があったり、海沿いに家が流されて門だけが残っているところを見て、僕たちは衝撃を受ける連続でした。一方、復興の兆しを見せているところもあり、広場にお店を並べているところも見られました。

ホヤは東北ではよく食べられているものです。特に牡鹿のホヤは種付きがよく高値で売れるのですが、養殖に3年もかかるそうです。この伝統を守るために、ホヤが育つ場である牡蠣殻をひもに通す作業をさせていただきました。作業は簡単なものが多かったのですが、暑い屋外で行ったので疲れがすぐにたまりしんどかったです。でも、漁師さんたちが出してくれるお茶やスイカをもらい元気を出して行うことができました。

今回のボランティアは普段行っているバイトや部活のように、自分に返ってくるものを期待して行うものではありません。しかし、懸命に作業していると自分にとっては無償のことでも気持ちよくできるようになれたと思います。このことが将来どう役立つかは分かりませんが、貴重なものを得ることができたと思えます。今回のボランティアに陰で支援してくださいました、大和証券様、大学の先生方に感謝しています。この体験を僕たちが感じただけで終わらせるのではなく、これからも伝えていかなければいけないと思います。

(リハビリテーション学科 3年 安藤 駿)

現地にて

東北大震災の話は、災害直後から多々聞いていましたが、1年半経過した現在テレビでの報道は少なくなりました。ボランティアを行った谷川(やがわ)地区について目についたのは、緑の中に山盛りになっている瓦礫。日に日に、毎々に増えているのが目に見えて分かりました。

震災当時の事をつらつらと、時には笑いを交えながら話してくださる現地の方。聞いていると自然と悲しく、険しい顔をしていました。どのような顔をして聞いていればいいのか分からなくなった時がありました。

私が今回のボランティアで強く想ったのは、「言葉では表せない感情、伝えることのできない恐怖、想像をはるかに超える出来事がある。」ということです。この5日間で様々な人と話をさせていただき、どの方も明るく元気で、頑張ろうというパワーを貰うことができました。実際に行って体感することが大切だと分かり、自分で行動すること経験することをやめたくないと思いました。

(医療福祉経営学科 3年 小西ひかる)

作業中

正直に言うと、最初は先生に勧められてこのボランティアに参加しました。しかし、ボランティアを終えて岡山に帰ってみると、参加して本当に良かったと思います。現地での作業は漁師さんのホヤの養殖の手伝いでした。漁師さん達はとても優しく温かい人ばかりで毎日とても楽しく作業できました。

漁師さん達には、震災での津波の影響や体験談も聞かせてもらえて心が痛みましたが、どういう状況だったのか、真実に基づいた話しは迫力があり、その時の状況が以前よりは湧きました。

このボランティアを通じて被災地の実態や人間の繋がりを知り、僕らは一回りも二回りも成長できた気がします。

(臨床工学科 1年 上岡将大、田靡将吾)

作業の様子

昨年の3月11日におきた東日本大震災の実態について、テレビや新聞でしか知ることができず、それ故どこか現実味を帯びて伝わってこないと感じていた。今回、その被害の大きさを自分の目で確かめたいと思った。また被災からすでに1年5か月たち、報道されることも少なくなった今こそ、被災者の方々の役に立つ行動をするべき時だと思い、このボランティアへの参加を志望した。

作業内容はホヤの養殖の手伝いで、穴をあけた牡蠣の殻にひもを通すという簡単な作業だった。最初は慣れない手つきでゆっくりとひもを通していたが、漁師さんやその家族の方の作業の速さに驚き、負けないようにと徐々にスピードをあげて通していった。最終日になると、我ながら感心してしまうほどの速さで次々と完成させていくことができ、少しは貢献できたのではないかと感じた。

現地にて

休憩中にボランティア先の方や、ピースボートの方といろいろなお話をし、交流を図ることができた。特にボランティア先の方には、津波により目の前でお父様を亡くされた方や、自分も津波に飲み込まれ死を覚悟した方、怪我をして今もしびれを感じている方などの話から、当時の状況を詳しく知ることができた。27mもの大津波により、その地域では100人中25人が亡くなられたこと、そのうち17人はまだ見つかっていないことなど、話を聞くことによってその被害の甚大さがリアルに伝わってきた。辛い思いをいっぱいしてこられただろうに、そんな様子は一つも見せず、本当に優しくしてくださって温かみを感じずにはいられなかった。

石巻で広くボランティア活動を行っているボランティア団体である「ピースボート」から派遣された方の中には、九州からバイクで1週間かけて現地にやってきた方、大学を休学してやってきた方、仕事を辞めてまでボランティアをやりに来た方などから直接話を聞くことができ、強い刺激を受けた。

復興商店街

はじめて東北を訪れたが、東北の人たちはとても優しく、温かく、気さくな方ばかりだった。3日目の自由散策では日和山に向かったが、「どこから来たの?」といろいろな人が声をかけてくださって嬉しかった。駐車場の跡地にプレハブでつくった小さなお店が立ち並んだ「復興商店街」に行った。そこは手作り感があふれる商店街で、立ち寄ったパン屋さんでは、お店の方が今日までどうやって過ごしてきたのかについて話を聞かせてくださり、人と人とのふれあいが改めて大切に思えた。東北の人たちなら絶対に復興できると確信した瞬間でもあった。

今回のボランティアを通して、東日本大震災の被害の大きさをはじめて認識できた気がする。また東北の人々の優しさを通して、人との交流の大切さを学ぶことができた。また必ず東北に行きたい。1回で終わるボランティアは単なる自己満足ではないかと思うからだ。その時は逆に私が東北の人たちに優しさを与えられるかもしれない。

引率してくださった先生方、お世話してくださったピースボートの方々、そしてボランティアさせてくださった石巻の方々、ありがとうございました。

(保健看護学科 1年 岡辺早智子)

牡蠣殻

今回ボランティアに参加したいと思った理由は、去年の3月11日から何度もテレビで目にした光景を自分の目で見てみたかったからである。そこで自分が感じることは何か、現地の人の言葉を直に聞いてみたかった。個人で行くのは不安もあったため、今回のこのような企画を利用させていただいた。

活動内容としては、牡鹿半島の漁師さんたちのホヤの養殖に必要なものの準備だった。具体的には紐に牡蠣の殻を通す作業だった。日に日に作業のスピードが速くなったのを感じ、少しでも力になれたことを嬉しく思う。休憩時間には、当時の話を聞いたり、早朝とれたてのホタテを食べさせてもらったり、小学校を見に連れていってもらったりといった有意義な時間を過ごせた。また、ボランティア団体のピースボートの方も一緒に作業をした。その人たちからも当時の状況や、今までしたボランティアについてなど、本当にたくさんの話を聞くことができた。

今回石巻市では、ボランティアだけでなく自由散策の時間も与えられた。町中は大分復興していたが、まだ手をつけられておらず、そのままのところもたくさんあった。それらを見て津波の怖さを実感した。もし自分がこのような状況におかれたとき、どうすべきなのかを知ることもできた。今回の経験を家族や友達に写真を通して話をしている。本当に貴重な体験をさせていただいた。参加できてよかったと思う。

(リハビリテーション学科 2年)

作業中

私たちは宮城県石巻市で、ピースボードの方たちとホヤの養殖のお手伝いをさせていただきました。作業の休憩中などに、漁師さんとその家族の方が、津波が来たときにどう逃げたか、津波の大きさ、その後の生活について詳しく話してくれました。私たちが作業した場所では約27メートルもの津波が来たそうです。未だに高い木にはブイが引っ掛かるなど津波の大きさを容易に想像することができました。

私たちが宮城県に滞在する間にも、2回地震がきて、まだまだ余震が続いているんだと実感しました。ボランティア休息日に石巻市を歩いてみて、思ったより復興しているなと感じました。その復興は、地元の方たちをはじめ、これまでこの地を訪れたボランティアの方たちの力を結集した成果なのだと感じました。しかし、海沿いの建物が流されてなくなった跡など、地震津波の傷痕はまだ残っていました。

私はこの東日本大震災の復興ボランティアを通し、現地で見て感じたことを多くの人たちに伝えていくことで、被災地への関心を集め、支援の輪を広げ、さらに東日本大震災の記憶を風化させないようにしていきたいと思いました。

(リハビリテーション学科 2年 豊浦由梨)

現地にて
現地にて

2012年8月24〜28日までの5日間、ボランティア活動に参加させて頂きました。私は23日に西宮市の消防の二次試験がありまして、正式に22日から参加することはできませんでしたが、この度このボランティアに関わって下さった川崎医療福祉大学の関係者の方々の支援により参加させて頂き、本当に感謝しています。昨年起こった東日本大震災を自分自身の目で見て、足で立ち、テレビの画面越しでは感じることのできない何かを感じてみたいと思い、このボランティアの機会をチャンスだと思い参加しました。

作業は想像していたこととは全く異なっており、ホヤの養殖の手伝いでした。最初は戸惑いましたが、徐々に慣れ、少しは漁師の方の役にたてることができたかなと感じています。できることならば、もっともっと長い間滞在して、現地の方々の役にたちたいと思いました。一週間くらいだと物足りなさが残ったのも正直な感想です。

岡山に帰り、「人生観が変わったか」と聞かれました。正直、人生観が変わったと言えるくらいのことは何もしてないですし、わかりません。ただ、同じ日本国内でも状況が全く違い、助けを求めている人がまだまだ沢山いる。しかし、遠いから何もできない、あるいは何もしないということは間違っている。自分自身で考え、行動し、今何を求められているのかを理解する柔軟な考えを持つことで、きっとできることはたくさんあるということを学びました。それが、岡山でできることなのか、それとも東北に行ってするべきことなのかわかりません。やるべきことは様々あるだろうが、まだ決して終わっていないと思います。最後に、自分にできることを継続して行いたいと思うようになりました。

そして最後に、今回東北ボランティア活動が成功したのも、大学の関係者はもちろんですが、引率してくださった長尾先生と古我先生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。

(健康体育学科 4年 平井智浩)

現地小学校教室

私は初めてボランティアに参加させて頂いたのですが、震災直後にテレビで見ていた光景はもちろん、被災した方たちのその時の様子など、ボランティアに参加していなければ分からない事を知ることが出来て、勉強になりました。震災から一年半経ち、メディアに取り上げられる事も少なくなる一方で、家族の帰りを待つ被災者の方がまだまだたくさんいる事を知り、ショックを受けました。

石巻の街は復興されつつある場所と、被害を受けたままの場所が両方ありました。被害を受けた家やアパート、作業所を見て、私たちがいかに幸せな生活を送れているかが分かりました。一年半経った今でも、そこの場所は時間が止まっているんだと思いました。

私たちがボランティアに参加して、役に立てたかどうかは分かりません。しかし、参加した事でテレビでは知ることが出来ない事を知り、普段の生活では経験出来ない事を経験することが出来ました。完全に復興されるまで、まだまだ時間はかかると思いますが、これからも何らかの形で支援していきたいと思います。

(リハビリテーション学科 2年)

夏休み震災ボランティア出発

私がボランティアに志望した理由としては、この震災があってたくさんの場所で募金活動を見てきましたが、自分のお金がどのような形になって支援されたのかはわからないままだからです。それから、被災地に行ってみて自分のできることを少しでもやってみたいと思ったからです。作業内容としては、ホヤの養殖の手伝いでした。今回初めてホヤという食べ物を知りましたが、海のパイナップルとも言われているそうです。

被災地に行ってまず印象に残ったことは、震災から1年以上過ぎているので、家があった場所には草が青々と生えており、元々その土地に家があったとは思えなかったことです。40軒近くあった家も津波で流され、残った家は1軒だけだったということ、引き潮が強く全部流されてしまい、見つかったものは写真数枚だったこと、仮設の住宅からこの場所まで皆さん毎日通っていることなど、たくさんの話をしていただきました。

今回のボランティアで日頃経験できないような体験ができ、被災された方の言葉はとても心に残るものでした。このボランティアで、私が手伝わせていただいたことが少しでも被災地の方の力になっていれば嬉しいと思います。1年以上経ちましたが、まだまだ復興しているとは言えません。少しでも早く復興してほしいです。

(医療福祉経営学科 3年 斎藤彩加)

作業の様子

作業内容は、ホヤの養殖の準備を手伝いました。具体的な内容は、穴のあいたカキ殻に頑丈な紐を通す作業でした。同じ漁師さん宅ではなく、作業場所は日々変わりました。紐の端を結び、通したカキ殻が抜けないようにし、沢山のカキ殻を通しました。数個通すと、通した紐を上下に振り、カキ殻同士がしっかりくっつくようにしました。ホヤはカキ殻のザラザラした外側にくっつくそうです。通すカキ殻の向きに注意しながら取り組みました。作業は単純でしたが、立ち作業が長時間続いたので大変でした。しかし、現地の方と会話をする機会もあり、津波等の体験話を聞くこともでき、貴重な経験になりました。また、勉強にもなりました。ボランティアに参加して、本当によかったです。東日本ボランティアを企画していただき感謝しています。ありがとうございました。

(健康体育学科 3年)

現地にて
現地にて

私は宮城県石巻市でのボランティアを通して感じた事は沢山あります。大震災が起きたあの日、あの時に被害に遭われた方々のお話を作業場で聞かせて頂きました。住んでいた家は跡形もなく流され、家族とも連絡が何日も取れなかったという話を。この震災の出来事はテレビや新聞等のメディアでしか聞いたり見たりする事しかなかったのですが、実際に現地の方のお話を聞いたり、街の様子を見ると、なになのか分かりませんが、込み上げて来るものがありました。

家に帰宅し、家族で楽しく晩ご飯を食べ、次の日の支度をして睡眠を取る、といった何気ない当たり前の出来事を奪われた方が沢山います。被災された方にしか分からないあの経験は、容易に「早く復興して欲しい。」と言えるものではなかったです。私はお話を聞いている中で、携帯電話の待受画面にお孫さんとの写真をいれている方がいるのを目にしました。津波で全ての物が流され、生きる希望を無くされた方もいると思います。そういう中でも誰かの為に頑張る、頑張れると想い、懸命に働かれている方達は少なくないと思います。誰かが自分を支えてくれているから明日を生きていく。その気持ちを決して忘れないようにしたいです。

このボランティアでは一週間という短い期間ではありましたが、沢山の方に出会いご支援、ご協力をして頂きました。お世話になった石巻の方達には、もしかしたらこれから生きていく中でもうお会いする機会はないかも知れません。本当に感謝したいです。「東北へボランティアに行きたい」、「行きたい」とずっと口だけだったのですが、叶える事が出来て本当に良かったです。まだ完全に復興したとまでは行かないですが、東北の方々は一日でも早く復興するという想いを込めて生活されています。自分達に出来る事は少ないですが、まだまだ忘れてはいけないこの事実を、メディアを通してではなく、多くの方にその場所に行き、深く知って頂ければと思いました。

(医療福祉経営学科 2年 藤原浩蔵)

現地の光景

テレビの中での映像や人から聞いた情報しか知らなかったので、実際の現場がどのようになっているのか、自分の目で見てみたいと思ったのがボランティア志望したきっかけです。

作業内容としては、石巻市の漁港でホヤの養殖のお手伝いをしました。一つひとつの作業が手作業であって、とても根気のいる作業であると最初は感じました。それでも、作業をしていくうちに、どのようにすればすばやくできるのかと考えながら、牡蠣ガラを紐に通していると、なんだか楽しくなりました。今までやったことのない体験であったので、とても新鮮であり貴重な体験になりました。

現地の人やピースボートの人たちとコミュニケーションをとってみて、とても多くのことを学ぶことができたと思いました。被害を受けた悲しみもあると思うけれど、それよりも笑顔が多いと感じました。震災から時間が経過しているとはいえ、完全には生活が戻っていない中で、復興に向けて全員で力を合わせて頑張ろうとしている姿がとても印象に残りました。

人生で初めて東北に行き、初めて見たのが震災後の景色だったので、少し違和感がありましたが、予測がつかない津波による影響はとてもすごく、また怖く感じました。地震だけでも被害があるのに、津波による被害もあったので、東日本大震災の被害の大きさの現実を見てとても驚きました。このボランティアを通じて、自然災害の怖さについてしっかりした知識を持っておくべきだと感じました。日頃からしっかりとした準備もしておくべきだと思います。そして、不自由なく生活していることに感謝することが大切であると思いました。何か困っている人がいれば手助けして、みんなで協力していくことの大切さを感じました。今回のボランティアを通して普段の生活では学べない多くのことを学ぶことができたましたし、とても貴重な経験になったと思います。

(健康体育学科 4年 塩田悠也)

現地の様子

最近テレビで東日本大震災の被災地の問題を取り上げられることも少なくなり、今東北はどんな現状なのか、この目で実際に見てみたいという軽い気持ちで参加を希望しました。実際に石巻市に行ってみると、津波の被害があったのかと思う地域があれば、まだ震災の爪痕が残っている地域もあり、その差に困惑しました。地元の人や漁師の人達は、震災当時の状況や復興までの道のりについて、こちらが伺わなくても話してくださいました。なかには実際に家族を失った方もおられましたが、気兼ねなく話してくれました。私がもし被災した立場ならば、震災当時のことは思い出すのも恐ろしく、話をしたくないと思います。しかし、たった1日しか交流の機会がない私達に、大切な話をしてくれることは、この震災の記憶を風化させたくないという気持ちが強かったためだと思います。その思いを受け継いで、たくさんの人に伝えて風化させないことが、今の私達にできることだと考えます。今回ボランティアでたくさんの人と交流ができ、また微力ながらも復興に携わることができたことを誇りに思うと同時に、人生の糧にしていきたいと思います。

(リハビリテーション学科 3年 矢野恭平)

現地にて

今回は石巻の漁師さんのお宅に、ホヤの養殖で使用する種つけのためのお手伝いをさせていただきました。ホヤが成長するには3年かかります。震災により多くのホヤが流されたため、漁師さんはホヤによる収入源がない状態が、震災から1年半経った今でも続いています。

漁師さんのお宅では、さまざまな話を聞くことができました。津波から避難する際、近くの方たちと車に乗り合わせて避難したそうなのですが、その時隣に座っていた方が「これは夢だ」と言いながら、睡眠薬をたくさん飲んでいたそうです。この話を聞いたときに、かなりの驚きと同時に、それだけ信じがたいことが起きたのだ、と実感しました。漁師さんは、私たち以外にもいろんな方がボランティアに来ているにもかかわらず、震災の話をしてくれます。きっとそれだけ震災を経験していない私たちにも、今回の出来事を伝えたいと思ってくれているのだと思います。

最終日に、他のボランティア団体の方と一緒に作業しました。その方は昨年の5月にボランティアで宮城県を訪れ、今回が2回目ということでした。なぜボランティアに参加したのか聞いてみると「来なきゃ!と思った。」と話してくれました。その言葉を聞いて、私も、もっと早くボランティアに参加する機会はあったし、行動に移せたのではないかと思いました。今後、参加できる機会があるなら参加したいですし、経験したことを、身近な人に伝えていきたいと思います。

(リハビリテーション学科 3年 山嵜真央)

現地の光景

今年の3月に、南三陸町で行われた大学オリジナルボランティアにゼミの先輩が行きました。その時の話を聞いて、興味が湧いて参加を決意しました。実際に説明会で話を聞いて、このボランティアそのものにやりがいがあると思いました。

ホヤの養殖のため、牡蠣の殻に穴をあけて、紐に通して積み重ねていく作業でした。それらを海の中に入れると、牡蠣の束のまわりにホヤがくっついてできるのだそうです。しかし、食べられるようになるまで、3年ぐらいかかると聞きました。

現地の人は真剣に震災当日のことを話してくれました。それによると、今は復興していたが当時は壊滅的だったそうです。作業の合間に見せていただいた写真を見ると、津波の強さや地震の強さが伝わってきました。私はこの日に大切なものが失われたつらさを知りました。さっきまであったものがなくなるのは、見ている側も悲しくなります。どんな思いで現地の人や、ピースボートのボランティアの人が働いてるのか、分かるような気になりました。

(健康体育学科 3年 長野由典)

ミーティング

ボランティアに参加しようと思ったきっかけは、以前同じ学科の友人がボランティアに参加していて、その報告の写真展示を見たことです。テレビや新聞などで、被災地についての情報は得られるけれど、それらには載っていないことや伝えきれないものもたくさんあるのだなと感じました。だから、自分も実際に現地に足を運んで、それらを感じとろうと思い、参加を決めました。

作業内容としては自分が想像していたのとは多少異なり、漁師さんの元へ行き、ホヤの養殖の準備を手伝いました。漁師さんやご家族の方々は気さくで明るい方ばかりで、温かく迎えてくださり、すぐ打ちとけることができました。牡蠣の殻に穴をあけてそこにロープを通す作業をしました。腕力や器用さも必要でしたが、みんなだんだん慣れて、終盤には無言で夢中になって作業をしていました。たくさん手を動かし、たくさん汗をかき、たくさん漁師さんとお話をした4日間でした。参加者のほとんどがホヤを見たことも食べたこともなくて、このホヤが食べられる頃に、また東北に来ることを約束しました。

現地にて

私たちがお手伝いに行った所は、27メートルもの津波がきたそうです。想像もつかないくらいの高さです。また、漁師さんが被災した谷川小学校に連れて行ってくださいました。教室は音楽室などの面影はあるものの、ほとんどが津波で流されていていました。グランドにあった体育館も跡形もなく流されていました。ただただ、言葉を失いました。テレビや新聞は被害の大きいとこしか映さないし、震災当時はたくさんテレビも放送していたけど、今ではかなり減ったのだとも言っておられました。

漁師さんが話してくださいました津波の経験の中でも印象的だったのが、次のエピソードです。津波が押し寄せているとき、港へ行き、近所の人たちを助けて自分も逃げようとしたそうです。その時、うろついていた犬と目と目が会って、この犬も助けないといけないと思ったそうです。死ぬか生きるかの中で自分のこと以外を考えている漁師さんたちをすごく尊敬しました。他人を思うとは、こういうことなんだなと感じました。

また商店街を歩いていると、あるお店の窓に『ボランティアの人たちありがとう。私たちも頑張ります。』と書いた紙が貼ってありました。目頭が熱くなりました。もっと早くボランティアに来ればよかったなと感じました。

今、自分たちにできることは、「現地に行かないと見られないもの、感じられないこと」をみんなに伝えていくことです。そしてそれを何年たっても忘れずにいること。現地で感じた人を思いやる心を、自分たちも養っていこうと思います。ボランティアに参加して本当によかったと思います。

(リハビリテーション学科 3年 下森未来)

ホヤ

東日本大震災が起こった時、私の部屋にはテレビがなかったため、どのような悲惨な災害なのか、また被害だったのかについて全く知りませんでした。初めて知ったのも翌日のバイト先のテレビで、同じ日本で起こったことなのに、まるで映画を見ているような感覚でした。そこで、実際に自分の目で現場を見て、少しでも役に立ちたいと思い参加しました。

牡鹿半島の漁師さんのところで、ホヤの養殖の手伝いをしました。ロープにカキの殻を通す作業で、ホヤという食べ物を見たことも聞いたこともなかったので、どうやってホヤが養殖されるかの話を聞いて、とても新鮮に感じました。作業中には、震災当時の話を聞いたり、漁の話をしたりしてくださり、自分の知らない知識をたくさん吸収できました。気さくな人がとても多く、初対面の私たちに優しく、いろいろとおもてなしをしてくれました。ホタテの剥き方なども体験できて、そこで食べた新鮮な生のホタテは甘くて、とっても美味しかったです。この7日間は「あっ!」と言う間に過ぎてしまいましたが、またぜひボランティアに参加したいです。

(リハビリテーション学科 3年 江野口仁美)

現地の光景

今回、東北のボランティアに参加して非常に多くのことを体験し、いろいろな面で大きく成長できたと思います。またテレビなどの報道で取り上げられていない宮城県の現状を自分自身の目で確認し身をもって体験することで、自分にできることは何なのか今まで以上に深く考えることができました。ホヤの養殖という一部分のみのボランティアでしたが、ここで得ることができた多くの体験を岡山県に帰ってからもしっかりと伝え、自分にできる支援をこれからも続けていこうと思います。

そして、温かく迎えてくださった東北の皆様や全面協力をして下さった大学の方々に感謝します。ありがとうございました。

(リハビリテーション学科 3年)

夏休み震災ボランティア出発 現地到着 現地にて 現地にて 現地にて 現地にて
現地にて 現地にて 作業の様子 作業の様子 作業の様子 作業の様子
現地にて 現地にて 現地にて 現地の光景 現地の光景 現地の光景

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赤十字ボランティア参加者

昨年は参加したいと思いながら自信がなかったので諦めました。後で友人や先輩が東北ボランティアに行ったと知り、行かなかったことを後悔しました。今年しかないと思い、この企画へ応募しました。

現地では津波で流された敷地の瓦礫撤去作業を行いました。ほんの一角ですが、まだ一度もボランティアが入っていない場所です。掘り起こせばレンガや硝子の破片が山ほど見つかり、壊れた食器やレコード、子供の玩具等も出てきました。そこには私達と同じように生活している人が居たことを強く実感しました。出てきた物を並べながら、宝探しの様な気持ちになり、それは不謹慎かとも思いました。その時、隣で作業をしていた団員が「宝物がいっぱいだね」と声をかけ、他の団員も同じ気持ちで作業をしていることを嬉しく感じました。

作業の中では現地の人と関わる機会は殆どなかったけれど、夕食や銭湯、宿泊施設などでお世話になった方々にはとても親切にして頂きました。ボランティアを冷めた目で見る人達を見て、自分の立ち居振舞いを見直そうと感じた時もありましたが、多くの人が歓迎し労ってくれ、初めて地元から離れた土地で活動する私には心強い励みとなりました。

現地で団体を仕切る人が言いました。「被災地はまだ何も復興していない。皆がこうしてボランティアのベストを着て、ここに立っていることに意味がある。」今回の参加で終わっては自己満足に過ぎないので、この活動で得た学びを周囲に伝え、機会があれば是非再び現地で復興のお手伝いをしたいです。

(保健看護学科 3年 小川真奈美)

私は、テレビでしか被災地のことを知りませんでした。自分の目で被災地の現状を見ることで何かを得ることが出来ると思い、このボランティアに参加しました。作業は、仮設住宅に住むお年寄りの方が癒される農園作りと、がれきの処理でした。家の土台しかないところに入り、土の中からガラスやブロックを取り出しました。生活用品が土の中からたくさん出てきました。震災前まで、それぞれに名前があったものが、どれも『がれき』と呼ばれるのは、とても悲しいことだと思いました。

3粒から始まった復興米のお話しを聞きました。津波でどこから来たのかわからないお米が玄関先に3粒あり、芽が出ていたそうです。その3粒は、塩水などで栄養失調になっており、温度や湿度、栄養の管理などを毎日行なった結果、信じられないくらいに増えていきました。今は、まだ種を増やしている段階なので、販売されるようになるには、あと2年くらいかかるそうです。

被災地の方々は、私達がボランティアとして岩手県などに来てくれるだけで、嬉しいと言っておられました。「まだ、忘れられていないんだ」という気持ちになるそうです。私は、ボランティアに参加出来て本当に良かったと思います。被災された方から直接お話しを聞けて、復興に向けて地元から頑張っていることが伝わってきました。これからも、復興支援を続けて行かなければならないと思います。

(医療秘書学科 1年 松本絵里)

私は、釜石市の鵜住居地区の防災センターの職員の方に聴いたお話が印象に残っています。津波が来た時、住民の方々の多くがこの防災センターに避難したそうです。しかし、津波の高さは防災センターの2階の天井近くまで達しました。建物の内部で63人の遺体が見つかり、26人が生き残っていたそうです。しかし、全体の犠牲者の数は未だにわかっていません。生き残った26人の方々は、2階のカーテンレールに掴まって、顔を水面から出して助かったそうです。この話をしてくださった職員の方は、息子のお嫁さんとその息子さん(つまり義理の娘さんとお孫さん)も、その防災センターでお亡くなりになったそうです。

この活動を通して、月並みな言い方になりますが、1日1日を悔いなく、精一杯生きなければならない、と強く感じました。ボランティアに行くまでは、被災された方々を「被災者」と、ひとくくりにしていた部分がありました。しかし、実際に岩手に行ってみて、そこにはさまざまな人がいて、それぞれの生活や考えがあることがよくわかりました。今回このボランティアに参加してよかったなと思いました。

(臨床心理学科 3年 吉光 裕)

大学コンソーシアム岡山ボランティア参加者

東日本大震災から一年と半年が経ち、私がボランティアとして東北のために何かできることはあるのかとずっと考えていました。今までは、募金といった間接的な支援をすることでしか東北との関わりを持っていませんでした。そして、その募金がどのくらい東北の方たちのために使われているのか知りたいと思いました。震災後に比べ、ニュースや新聞で取り上げられる震災関連のニュースや記事は少なくなり、私たちが得られる被災地の状況や情報を知る機会も減ったように思います。私は、メディアを通した情報だけではなく実際に現地に行き自分の目で見て、直接的な支援を何かしたいと思いました。それは、実際に自分の足で現地に行くことだと思います。

今回の大学コンソーシアム岡山での活動は、岩手県の大槌町の中学校に残るトロフィーや賞状、民具などを、隣町の小鎚町に運ぶという活動でした。大槌中学校は、津波の被害や火災の影響により、校舎のとり壊しが決まっています。中学校の教室に掛かっている震災直後から止まったままの時計、職員室の黒板には当時のままの日程表が書いてありました。その日程表には、3月11日卒業式予行、3月12日卒業式、と書かれていました。もし、震災が起きていなければ、当然卒業式が行われるはずでした。一瞬にして、津波はすべてを奪ってしまったのだと痛感しました。ここで3年間過ごしてきた生徒や先生たちの思い出の整理や、慣れ親しんだ校舎の復興を、自分たちが手伝うことが出来て良かったです。

現在、大槌中学校の生徒たちは、他の地区の小学校と一緒に仮設校舎で勉強しています。仮設校舎は、クーラーはおろか扇風機さえなく、35℃を超える暑さの中での勉強を余儀なくされている状況です。また、運動場や体育館も合同で使っているため、体育の授業や部活動が思いっきりできる環境ではありません。

大槌中学校で勉強している生徒の全員が被災者です。生徒たちは、あの震災で同級生、両親や兄弟、祖父母、親戚を失ったと校長先生から聞きました。校長先生は、「あの3月11日から、また一から始まった」とおっしゃられていました。私は、生まれも育ちも岡山です。「晴れの国・岡山」と言われているように、岡山では自然災害に遭うことはほとんどありません。ボランティアに行くまでは、3月11日に起きた震災のことも、どこか遠い国で起きた事のように感じていました。このボランティアの活動を通して学んだことを、今後自然災害が起きてしまった時に活かしたいと思います。私は、震災ボランティアは現地に行って活動したら終わりではないと思います。私たちに出来ることは、これからもずっと東日本大震災のことを忘れず、後世に伝えて行くことが私たちの使命ではないかと思います。また、このような活動は決して単発的なものではなく、長期的・継続的に今後も活動していきたいと思います。

(医療福祉経営学科 2年 岡野菜々実)